医療ツーリズムの歴史と日本の動き
最初に3回に分けて、医療ツーリズムの最近の動きを眺めてみたい。1回目は各省庁も含めた日本の動き、2回目はアウトバウンド、3回目はインバウンドの最近の動向を記載する。
医療ツーリズムの歴史
医療ツーリズム自体は昔から存在する現象である。
医学が普及していなかった時代においても、温泉などを求めてより健康になるため、病気を治すために人々は移動をしていた。
このような行動に変化が訪れたのは、医学自体に高度なものが生まれ、それが高額になったからである。
例えば、アメリカなどの先進国に良い治療方法があれば、それを受けたい患者が出現する。しかし、こういった治療は非常に高額であるために、一般の患者が受けることができないのである。このように、医学の高度化から生まれたものがメディカルツーリズムであるが、近年異なった動きが出てきた。
それは、通常医学が進んでいるとされる先進国から新興国への患者の流れである。
一部の富裕層が行っていることであれば、あまり社会現象にはならない。
しかし、この先進国から新興国への患者の流れは安い治療、あるいは医療へのより良いアクセスを求めてきたものである。そのためにこの動きが社会現象として捉えられることになった。そしてこの動きをビジネスチャンスとして捉える新興国が出てきたのである。
そもそも先進国において医療費の削減をしようという流れから、高度で高額な医療を保険の範囲内で受診することができないケースが目立ってきた。また、アメリカのように民間保険に加入していない人が多い国では、値段が安い治療でないと受診することができないのである。
一方、タイやシンガポール、マレーシアといったアジアの国々において、米国と同レベルの医療を廉価で受けることができる状況が整ってきた。
タイやマレーシアにおいては医療が2極化し、アメリカ流あるいはイギリス流医学を勉強してきた医師が、高度な医療を自国の富裕層向け株式会社の病院で提供し、その病院を先進国の患者が受診するようになったのである。
社会現象として捉えた医療ツーリズムは以上のような現象であるが、やはり倫理的な問題を指摘する人が多い。
医療ツーリズムの問題点
倫理的な問題点としては、医療はお金で配分されるものでは無いという指摘が多い。
また通常の医療だけではなく、例えば、移植医療ではどの臓器をどのように入手するのかといった問題に発展したり、タイやインドで行われているような受胎においては、誰がその子の本当の親なのかといった問題が提起される場合もある。
もちろん医療ツーリズムを擁護する側としては、現実的にニーズがあるのだからそれでいいのだと主張する人が多いが、医療ツーリズムが積極的に行われているタイのような国であっても、すべての医師、医療従事者あるいは国民がこの現象に賛成しているわけではない。
人の移動が活発化
ご存知のように日本でも2009年頃から医療ツーリズム(医療観光)を産業化しようという強い動きが起きた。しかしこの動きは上述したような倫理的抵抗、なかでも日本医師会の強硬な反対のために、動きとしては非常に小さなものにとどまった。
一方、新興国であるタイ、マレーシアあるいは韓国のような国では、反対派を賛成派が上回り、国が中心になって医療ツーリズムを推進している。
日本における医療観光の広がりは止まったように見えたが、このような状況の中で、大きな流れに抗うのは難しい。ここでいう大きな流れというのは人の移動のことである。
人の移動といった概念は日本には乏しいが、世界的には注目すべき研究分野なのである。
実際に、世界観光機関(UNWTO)の調べでは、国際観光客数は1950年の2500万人から2000年には6億8,100万人、2020年までには16億人に達するという見込みもある。さらに、国内での移動や、ロングステイといった動きも見逃せない。
安全な国を目指す
このように人が移動するようになってきた流れの中で、日本のような先進国においては少子高齢化が大きな課題である。客つまり移民として永住者を海外から呼び込むというところまではいかないまでも、中堅あるいは高度職業人をいかにその国に呼び込めるかが経済の活性化の鍵になる時代になったのである。
日本においては東京オリンピックが2020年に開催される。そのために観光客が増える事は間違いないし、実際に2013年の観光客は1,000万人を超え2014年には1,200万人を上回るとまで言われている。これら観光客あるいは外国からの人たちが何を求めるか。その一つに医療問題は欠かせない。
つまり日本が安心安全の国で外国人にとって魅力的な国であるためには、外国人対応の医療を充実させなければいけない。そして、この外国人対応の充実は、医療ツーリズムの基盤となるのである。
逆に言えば、自国在住の外国人に喜んでもらえる対応ができない医療レベルであったなら、その国に医療を求めに海外から足を運ぶということはありえない。
ここに私は日本の医療ツーリズムの新しい方向性が生まれたと考える。
つまり、国内の外国人対応の充実を図り、それを基盤に外国人を海外から呼び込むのである。よくよく考えてみれば、日本は諸外国に比べ国際化が遅れた国である。そのような状況で医療ツーリズムのみが発展するとは考えにくいとも言える。
現在の日本の状況の概観:観光庁と経済産業省が積極的
このような視点で日本における医療ツーリズムに対しての各省庁の動きを眺めてみたい。そもそも最もこの動きに推進的であったともいえるのが観光庁であるが、現在の観光庁はもちろん医療ツーリズムを無視しているわけではないものの、やはり大きな人の移動あるいは観光の充実といった流れの中での医療ツーリズムという立場になってきた。
その次に積極的であったのが経済産業省である。経済産業省の動きは非常に面白い。というのも、経済産業省においては、医療は次世代の重要な産業であるという大前提のもとに医療ツーリズムすなわち医療産業を使ってのインバウンドの難しさゆえに、医療を輸出するすなわちアウトバウンドにも注力し始めたからである。
実は医療を輸出するアウトバウンドと、医療を輸入するインバウンドすなわち医療ツーリズムは裏腹の関係ともいえる。なぜなら、その当該国の医療が世界的に有名であってレベルが高くなければ、そもそもその国の医療を受診しに行くことはないからだ。逆に言えばアウトバウンドで医療を輸出することができるということは、その国の医療のレベルが高いということを意味し、その国に行って医療を受ける価値があるということを意味するのである。そういった視点で経済産業省はインバウンドとアウトバウンドの両方の取り組みをしている。
Medical Excellence JAPANの創設
省庁ではないが、Medical Excellence JAPANという一般社団法人が、非常に経済産業省に似た動きをしている。ここは医療のインバウンドとアウトバウンド事業を行い、様々な調査活動などを自ら行っている。
日本の優れた医療には、3つの特徴がある。
Medical Excellence JAPAN HPより(※1)
厚生労働省も追随、外務省も動く
最後に医療の本丸ともいえる厚生労働省の動きはどうであろうか。もちろん日本の厚生労働省にも国際課というものが存在し、いろいろな視点で医療の国際化に対応してきた。今回の医療観光あるいは国際医療交流を中心とした医療の国際化の流れと、旧来の厚生労働省における国際化の動きとの1番の違いはその国際化に産業あるいはビジネスが成立するかどうかという点に尽きるであろう。
厚生労働省が従来手がけてきた国際化は、どちらかといえばODA(Official Development Assistance:政府開発援助)に近い立場である。これは、低開発国(医療技術の進んでいない国)に対して医療の援助をするという立場である。そこには低開発国からリターンをもらうという発想はない。しかし現在起きている医療の国際化におけるインバウンドにせよアウトバウンドにせよ、そこで産業やビジネスが起きるという視点があるわけだから、当然正当な対価を要求することになる。
すなわち、従来の社会保障という考えとは違う、産業政策的な視点が要求されることになる。厚生労働省は日本において医療の産業化には強力に反対している省庁である。そのため現在厚生労働省がとっている医療の国際化は、従来型の援助は行いつつ、日本の優れた医療制度を海外に輸出していこうといった視点になっている。
また、医療ツーリズムという視点ではなく(これは文部科学省も同じであるが)国際医療交流という視点で病院同士の医療交流も積極的に行い、あるいは、上述してきたような安心安全な国、すなわち医療が優れた国を作るといった視点で国際交流を進めていくという動きになっている。
さらに外務省も国際親善という立場で、従来はODAに偏っていた医療分野を少し産業的な視点でものを見る動きが出てきている。このように医療の産業化はある意味国策ともいえる動きであるので、各省庁が自分たちの立場でそれを推進しようとしているのが現状なのである。